坂口安吾 「いづこへ」
どこまでも堕ちる。坂口安吾。
硬質の私小説のリアリティをもって、どんどん引きずられていく。もはや不快な程に人間を晒していく徹底した自己内面の描写にえぐられる。
ショッキングだ。
2010年代ダークアンビエントやエクスペリメンタル、ミニマルなノイズにも感じる、徹底したマイナー世界の安定感。強さ。
この人は恐ろしい。そして、魅力的だ。
女にまみれて堕ちて行くのに、色鮮やかさはなく、ドロドロと醜く重く描かれているのは、その対極で葛藤する坂口の純潔の追求。
「真実の価値あるものを生むためには、必ず自己犠牲が必要なのだ。人のために捧げられた奉仕の魂が必要だ。その魂が天来のものである時には、決して幇間の姿の如く卑小賤劣なものではなく、芸術の高さにあるものだ。そして如何なる天才も目先の小さな我慾だけに狂つてしまふと、高さ、その真実の価値は一挙に下落し死滅する」
この人こそ、生きている。ただただ糞真面目に。痛みを撒き散らして。小説になっていなければ、救いようがなく闇深い。しかし徹底的に内面の奥深くを描写される事で、その業火に生を見る事ができる。
生き様を書く。無頼派とは恐ろしいものだ。