演無 健忘症の書き散らし

虚言癖の独り言

太宰治 「水仙」と義兄の思い出

織田作之助太宰治坂口安吾と回し読みしてると、戦前後の世界をふと憧れたりする。現代におけるその存在、時代の息づかいを表現しているのは何だろうか。思い当たるものがあれば是非教えて欲しい。

 

今日は数日前に友人から勧められ読んだ水仙

太宰治水仙

 

太宰治は優しい。きめ細やかな人間味のある、スケールの小ささ。それに全身全霊で歯向かう姿、それを惜しげもなく見せる男。

 

優しさが文全体に滲み出ているから惹きつけられる。

 

太宰は少年の心のようなものを守りそれを文でさらけだすので、我々は容易に感情移入し、同化し、揺さぶられ、そしてまた彼の優しさと脆さに出会う。

 

太宰治を読んでいると今年春頃に若くして亡くなった今同棲中の婚約者の兄を思いだす。彫り師として破天荒な鋭い感性とともに生きながら、一方で精神的な真面目さを感じる人だった。遁世的でありながら学術的だった。といっても私は彼に会っていない、我々は互いに意識しながら、間接的に影響し合っていた。と思う。

 

一度音楽を辞めようか考えた事があった。当時沖縄において、自主制作で初めてCDを作った時期だった。

 

その時期に私は彼女に出会った。彼女は音源を高く評価してくれ東京に行くべきだと私に勧めた。当時友人知人の社交辞令的な感想の言葉に嫌気がさしていた小心者でひねくれ屋の私は、同じく社交辞令的に感謝の意を伝えた。それは一種の防衛本能であったがしかし、彼女はその態度に納得せず、いかに環境に不釣り合いな内容になっているかを説いた。私はその言葉に救われた。

 

その後、彼女の兄が芸術家である事を知り、また日々の生活において彼女へ投げかける破天荒でありながら目から鱗の言葉の数々を聞いた。すでに尊敬し、影響を受け初めていた私は彼に音源を渡してくれるように彼女に頼んだ。彼女は快諾した。

 

義兄は三度聴いて、ようやく理解した。そう言った後何度も聴いてくれていたらしい。連絡先を載せていた方が良いと言っていたと。

 

今になってみれば何故この時期に会わなかったのか、不思議だ。この距離感を我々は大事にしていたようにも思う。しかしもう二度と会えないと思うと泣きたい気にすらなる。彼の亡くなった時、3枚まで内容可能のCDコンポの中には2枚のCDが残っており、うちの1枚は私のものであった。それは彼と一種に焼かれ灰になった。

 

彼の存在は、知り合って以後ずっと私に力を与えてくれるもので、今でもそうだ。感性の鋭さと脆さ、優しさを太宰の文に見るたびに義兄を思い出す。だから私は太宰が好きなのかもしれない。

 

追伸
義兄の遺言に、遺灰は読谷村とジャマイカにとあった。私はジャマイカに行くきっかけをもらったと思っているし、灰になった私の音楽も連れて行く事にもなる。キザで勘違い屋の私はこの事を大きく受け止めている。数年後、生活が落ち着いたら行こうと思う。