演無 健忘症の書き散らし

虚言癖の独り言

崩壊 備忘録

おそらく半年ぶりにここへ。この存在すら忘れていた。

 

過去の記事を読むと、驚愕と羞恥、無邪気な期待と無知。書いていて良かったな。。

書いていなければおそらく完全に忘れていたであろう状況と心境の変化。28年ずっと続けているだけかもしれないけど。笑

 

半年前の期待は綺麗に崩壊し、諦観と達観。人間簡単に違う環境で生きていけない。という事でまた本能渦巻く東京へ戻るべく動き回る昨今。

 

環境との不協和音でかなり多くの事を回想してた日々で手元を照らす光と本質を写す鏡になってくれた本の話を。

渋谷を一人で徘徊してた時に出会った吉増剛造の詩的自伝。

 

この人への共感はもはや救いとも言える程で。自分の心境を代弁しさらに道を示してくれるような、共鳴。

 

詩を通して感じていた共鳴の理由が、この自伝で益々明らかになり、さらに生き方への共感はもはや力強く賛同されたような錯覚までもよおす程に、歓喜。この人の求める生が溶解し渦巻いている時間空間。それを探し、求め、呑み、吐き出し、世の血潮の媒介となって徘徊し続ける人生。

 

これだ。笑

 

最近は般若心経、聖書、吉増剛造を軸に思考が廻りようやくまた自分の時間を歩き始めた感じがします。

 

無益な独白を最期まで読んで下さったみなさまへ

今日心を打った詩、吉増剛造の自伝に抜粋されていたエミリー・ディキンソンの詩の抜粋を。

 

 

 

死の床を広くつくるがよい

畏れと敬いでつくるがよい

優れて公正な審判の日の始まるまで

そこで待つがよい

 

褥を真っ直ぐに

枕をふくらませよ

日の出の黄色い騒音から

この場所を守れ

 

 

小石はなんていいんだ

道にひとりころがっていて

経歴も気にかけず

危機も恐れない

 

あの着のみ着のままの茶色の上衣は

通りすぎていった宇宙が着せたもの

 

 

暫く継続して書くかもしれない。文字を求めている。inもoutも良し。文字の独立性。情報の中立性。素晴らしい。

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