演無 健忘症の書き散らし

虚言癖の独り言

坂口安吾 「意識と時間との関係」

いきなりですが、我ながら浅はかな人間だなと思う。別にそんな自分は嫌いではないので悲観しているわけではないので心配無用ですが、とにかく憧れの対象を見つけると影響されやすい。笑える話ですがしかし移り変わりも激しいので逆に長期的に何かに偏る事はないですね。

そうやって擬態を重ねていく事でいつかオリジナリティめいたものが生まれていくと信じたい。

貫徹した作家の作品を読むとそういう自省を促される。いい傾向だ。はは。

 

 

友人の勧めもあり太宰治の作品を続けて幾つか読んだのですが、ここ数日すっかり太宰カブレだったのでここでは気分を変えて坂口安吾へ。織田作之助太宰治と並べて日本戦後文学の真の作家と褒め奉った坂口。

 

少し前に芥川賞を受賞した西村賢太も大きく影響を受けたであろう無頼派作家の巨匠。

 

最初、世界観のわかる作品を見つけることができず雑誌などに寄稿した小論文ばかり読んでしまい

 

しょ、 小説 じゃ ない…

 

とモヤモヤしていたが、そんな小論群の中に考えさせられるものがあり備忘用に書きます。僕の坂口安吾体験のイントロという事で。

 

坂口安吾 「意識と時間との関係」

 

小論文なので要約を、

 

 

 

意識の世界には未来は存在しない
現在と過去が在るのみ

「なにかを意識しつつある力」のみが現在にあり
意識の対象は全て、意識された途端に
意識された結果、過去となる

 

 

 


本文は細かく設定していく坂口安吾の頑鉄ぶりが読める文。龍樹の中論に感銘を受けて書きまとめたものだそう。

 

未来を考えるといえば何か希望に満ちている善行のように聞こえるが、しかし我々が生きている現在を忘れてしまう程に世の中は誘惑に満ちている、身にしみるわい。未熟で意志薄弱な僕には未来を考える事とは非常に罠に満ちている危険な行為ですらある。現在だ。現在。

 

坂口安吾は価値観やメッセージを口うるさく説教する事なく、意識と時間について語るのみですが、かえってその余白が非常に意味深いものでした。 

 

坂口安吾が作家としてどういう世界観を書いているのかはこれかれ知るところ。非常に楽しみだなあ。

 

「私はそのころ耳を澄ますやうにして生きてゐた。もつともそれは注意を集中してゐるといふ意味ではないので、あべこべに、考へる気力といふものがなくなつたので、耳を澄ましてゐたのであつた。」

 

ようやく相方の助けもあって坂口安吾節が冴え渡る「いづこへ」を読むに至ってますので読んだころにまた。

 

ちなみに太宰の水仙も読みました。明日か明後日にでも書こうかな。ネタがいっぱいあって楽しいね。